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ジャンヌ・ダルク 5

続き
イングランドの捕虜となったジャンヌは女性囚人にはつく筈の女性看守が付かない劣悪な環境に置かれるなかピエール・コーションに会い宗教裁判にかけられます。それも卑劣で巧妙な罠を仕掛けた酷いものでした。しかも通常、裁判にはつく筈の弁護人が付かずイングランド側は彼女を「魔女」としてフランスを貶めるのと同時にジャンヌを「魔女」として立証しようとしました。しかしジャンヌは明確に適切に答え、裁判担当の聖職者らを驚かせます。これらは全て裁判記録に残されフランス史上もっとも貴重な歴史資料となりました。ジャンヌは一人でコーションらに立ち向かったのです。しかしジャンヌの男装が当時の教会法違反に触れていました。それにも係わらず彼女は身を守るためしたのだと弁明しました。

彼女はコーションに「男装はしない」という条件で女装し牢に入れられるもの男に襲われそうになり男装に戻り、イングランド側の教会から「戻り異端」と判断され「火あぶりの刑」と宣告されます。これはイングランドが仕掛けた酷い罠でした。経験な信者であるジャンヌにとって最も恐ろしい出来事でした。

1431年5月30日、「魔女」と書かれた帽子を被せられたジャンヌはルーアンの広場の火刑台にくくりつけられました。火刑台はジャンヌにとってゴルゴダの丘であり彼女は哀しみと罵りを受けながら死の時を迎えようとしました。そしてジャンヌの足下のわらに火が付けられ炎となり彼女を包み、ジャンヌは「イエス様」と泣き叫び十字架を見せるように頼み全て焼き付くされます。その時、イングランドの兵士の一人が「聖女を焼き殺した」と叫びました。焼け残った彼女の遺灰はセーヌ川に投げ捨てられ流されました。

フランスの片田舎から神のお告げを受けて歴史の表舞台に現れ、軍の指揮者として兵士らを鼓舞させて勝利に導き、正当な王位継承者を戴冠させ上、イングランドの捕虜となり「異端者」として裁かれ炎に焼かれ19歳の生涯を天に返しました。ジャンヌ・ダルクは「殉教者」となったのです。

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by ignatiusmaria0319 | 2020-06-25 23:30 | カトリック教会 | Comments(0)

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by 今紫
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